毒婦、修羅の過去

毒婦の過去。

毒親と毒婦 小学生の頃。

小学校に上がってから、兄の様子がおかしくなった。

 

兄が「学校に行きたくない」と言い出したのだ。

 

私は「いいなぁ兄ちゃん、学校行きたくないとか言って休んで」

なんて思っていた。

小学生というのはまだまだ子供で考えも浅はかで残酷である。

 

 

それから、兄がなぜ学校に行くたくないと言い出したかが判明した。

いじめではなかった。

なんと、給食のパンが食べたくないから、という理由だった。

兄の机の中からはカビの生えたパンが発見され。

兄のランドセルからもカビが生えてプレスされてぺったんこになったパンが多数発見された。

 

少食だった兄、食べない事で怒られる兄は、給食のパンが嫌いで食べられない事を誰にも言えず机の中に溜め込み、ランドセルの中にまで溜め込んでいたのだ。

 

それが発見された時

「パンが辛かったんだね」

こう誰かが言っていたら、兄も少しは違っていたかもしれない。

 

昔は給食を完食する事が美学であり、残すなんて事は許されなかった。

あなたのクラスにもいませんでしたか?

牛乳が嫌いでチビチビ飲んで、掃除の時間になっても泣きながら牛乳飲んでいた子。

兄はそれのパンバージョンですね。

 

そしてこの事件が発覚した頃から、兄は母親に連れられて病院にちょくちょく通うようになった。

その診察の内容、先生の話などを父親と夕飯の後にしていたのをリビングで聞いていた。

 

その時はよくわからなかったが、「チック」という言葉が出ていた。

それと、兄が時々頭をククッと振る?というか妙な動きをする話もしていた。

チックの意味はわからないけれど、言われてみれば兄ちゃん頭時々振ってるなぁとは思っていた。

それが「チック」なのかなぁ?となんとなく私は思っていた。

 

これはあくまで私の予想だが。

兄はいろんなストレスから「チック」症状が出ていたのかもしれない。

パンを食べたくない、を理由に登校拒否になり。

頭を振る行為、その異変に気づいた母親は兄を連れて病院へ行った。

 

きっと母親はその時の医者にこう言われたのではなかろうか。

 

あなたのお子さんはストレスでこうなった。

何か、思い当たる節はありませんか?

 

食べない事に対して怒る事、お兄ちゃんなんだから!と怒る事。

パン嫌、くらいで学校休むとは何事じゃ!と泣いて拒否する兄を引きずってでも学校に行かせとうとした事。

 

母はきっとその時、自責の念にかられたに違いない。

 

自分のせいでこうなってしまった。

自分のせいで息子がこんなになってしまった。

 

そして医者は言っただろう。

お子さん(兄)のストレスの原因をなくしていく事。

兄への愛情不足を解消させる事。

 

きっと母はそれを聞いて傷ついただろう。

今、私には子供がいるから、憶測ではあるが母の気持ちはわかる。

自分なりに頑張って来た育児。

それを否定された時の辛さよ、そして自責の念を思うといたたまれない。

1人目というのは一生1人目で、我が子がいくつになっても

「初めての育児」である事、母親にとって「初めての経験」である事。

 

彼女は彼女なりに頑張っていたのだと思う。

だけど、その頑張り方、兄への愛情のかけかたが間違っていた。

それをなんとなく彼女も自覚していたのではないだろうか。

 

そうなると余計に、医者に言われであろう言葉は。

彼女にとって衝撃の言葉であり、大きなショックでもあったと察する。

 

 

毒親と毒婦 幼少期

私は、毒婦家で80年ぶりかなんかの女の子誕生だったそうです。

当時は女の子が生まれたとたいそう喜ばれたそうです。

 

私には2つ年上の兄がいます。

 

幼少期、私は父親に可愛がられていたような記憶が断片的にあります。

かといって、母親に可愛がられていなかったかというとそうでもなかったように思います。

 

どちらかというと、兄の方が「お兄ちゃんなんだから!」とよく怒られていたように思います。

 

父親も兄にはとても厳しかった記憶があります。

 

父親はとても仕事バカで、殆ど毎日仕事に明け暮れていたイメージです。

これは定年まで、定年後もそうでした。

 

母は専業主婦でした。

 

兄は習い事をあまりしていなかった記憶があります。

スイミングくらいでしょうか。

私は、兄と一緒にスイミングにも行き、楽器を習ったり、習字、そろばんにも通っていました。

振り返ると、娘の私は「特別」に見えますね。

 

私は小さい頃からコロコロしたぽっちゃりな女の子でした。

変わって兄はガリガリに細くて身長も低くもやしみたいな男の子でした。

 

夕飯の時、兄はいつも怒られていました。

なぜ怒られるか、食べないからです。

単に少食だからなんだと思いますが、両親は食べない兄をよく𠮟っていました。

 

食い意地のはっている私は

「なんでお兄ちゃん食べないんだろう?」

「食べないで怒られるって変なの」

「食べればいいのに、美味しいのに」

「また兄ちゃん怒られやんの」

と思っていました。

 

今でも鮮明に覚えている記憶があります。

忘れもしません、夕飯はちらし寿司でした。

兄はちらし寿司が当時は嫌いだったのかなんなのか。

嫌そうな顔をして食べていたのです。

 

そりゃぁせっかく作ったのに、嫌そうな顔して食べられて。

私も親になってわかりますが、せっかく作ったのに食べてもらえない

これは結構ショックだったりもします。

 

あの日、母親が食べない兄をいつも以上に怒ったんです。

兄は半泣きでちらし寿司を詰め込んでいたのですが遂に逆流w

 

私は「あぁ!お兄ちゃん大丈夫!?」と言いましたが。

母親は台拭きを思いっきり兄に投げつけ

「吐いたもんも全部食べなさい!!!!」と怒鳴り散らした。

 

子供ながらに私は「それは酷い」と思い。

泣き出したお兄ちゃんを見て、貰い泣きしてしまい。

2人でワンワン泣いたのを覚えています。

 

もういい!もう食べなくていい!

 

と、まだ食べかけの私のちらし寿司も撤去され。

逆流ちらし寿司も撤去され。

お兄ちゃんとワンワン泣いていたら

「うるさい!」と言われ。

そのままリビングに行って父親が早く帰って来ないかな…と私は思っていました。

 

まぁ兄貴は父親が帰って来たら帰って来たで今度は父親にも怒られると思って、気が気じゃなかったとは思うのですが。

 

 

とにかく、両親は兄に厳しく。

私には甘かった、という感じでした。

 

 

毒親と毒婦(2)

風俗の仕事をしていると、客にこんな事を聞かれる事がある。

 

「旦那さんはこの仕事知ってるの?」

「子供は知ってるの?」

「親は知ってるの?」

 

風俗の客というのは人のプライベートを知りたがるが、そんな事知って何になるのだろう。

風俗嬢を前にお互いの事を少しでも知りたい、会話のネタの一つなのかもしれないが。

 

初対面でいきなりこのような質問をされると

大変ゲスいなと感じる風俗嬢が圧倒的に多いと思うので

風俗店を利用する殿方がこのブログを読んでいるなら是非、このような人のプライベートに土足でチンコ丸出しで踏み込まない方がいい事をお伝えしておきますね。

 

話が逸れました。

 

私は、親の事を聞かれた時は必ずこう言っていました。

 

「両親は早くに亡くなりました。」

 

バカな客は信用して同情しますし、プライベートな事を聞いて来るバカを一瞬黙らせる事ができる回答なので私にとってはうってつけでした。

(早くに親御さんを亡くされた方、気分を悪くさせてしまいすいません)

 

風俗の仕事をしている時の自分は、本当の自分ではありませんでした。

実際「本当の自分ではない」証の源氏名が存在します。

店のスタッフも、同じ店の女の子も、もちろんお客さんも仕事中は源氏名で呼びます。

 

最初はすごく違和感がありますが、日に日にこの源氏名が自分の中で定着してきます。

それと同様、周りの女の子も源氏名で呼ぶわけですから

例えば隣に座っていた風俗嬢が「まりな」ちゃんだったとしたら

私にとっては「まりなちゃん」でしかないんですね。

本名なんて聞こうとも思わないし、まりなちゃんはまりなちゃんでしかないんです。

そして向こうも「毒婦さん」と呼べば、毒婦以上も以下もないんです。

風俗の世界は私にとって異空間でもありました。

異次元とでも言おうか。

 

源氏名でお仕事した事ある方なら、これなんとなくわかっていただけるかと。

 

私は風俗の仕事をしている時は別人でした。

別人を演じていた、という感覚ではありません。

別人に「なりきっていた」それもごく自然にと言った方がぴったりかも。

あくまで私の場合ですけどね。

 

私は自分の源氏名にあらゆる設定を作りました。

 

あまり色んな設定をしてしまうと、どのお客さんにどういう設定で接客したかわからなくなってしまうので(笑)

あらかた、設定は決めていました。

 

早くに両親を亡くした。

 

言い方は悪いですが、毒親に育てられた、そして尚且つ今も毒親に悩まされる自分の中で「親はもういない」という願望から出て来た設定でもあります。

 

親がもういない。

 

本来ならば悲しい事だし、辛い事なのに。

 

私にとって「親は早くに亡くなりました」は私の願望だったのです。

 

もっと早くに親との関係を修復できていたなら、とも思います。

ですが、気づいた時には遅過ぎました。

大人になって気づいたって、遅いんです。

 

私にはもう軌道修正など不可能だと思っていました。

あきらめではありません、修復しようったって無理なんですから。

 

断ち切るしかないんです。

 

これから、私が軌道修正など無理だと判断し。

これはもう「断ち切るしかない」とこの歳になって(先日40歳になりましたアハ)

決意しました。

 

私は、これから数ヶ月に渡って。

 

自分の母親との関係を、断ち切ろうとしています。

 

 

 

毒親と毒婦

自分をこの世に授けてくれた両親の事を「毒親」と呼ぶには正直抵抗がある。

 

あれは私が30を過ぎたくらいだろうか。

恐らく、私が独身時代の頃ではなかったように思う。

 

とても親しくしていた友人に母親の話をした事があった。

その時に友人に言われた言葉。

「言いにくいんやけど、毒婦ちゃんのお母さんて毒親じゃない?」

 

はて?「毒親」とは?

 

その友人が「一度読むといいよ」と教えてくれた本は

 

『毒になる親』一生苦しむ子供

 

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という本であった。

 

その時私は「なぜ私の母親が毒だと思うの?」とその時は少し友人の言った言葉に否定的に返した記憶もある。

 

その友人は

「簡単に言うと、親も子離れできていない、子供も親離れできていない…とでも言おうか…」と。

友人から「気を悪くさせたらごめんね」くらいの一言が欲しかったくらい、私は結構失礼な事を言う人だったんだなと思った。

 

あまりに気になった私は、本屋に直行して毒になる親の本を買った。

 

そして開いて、少しづつ読むに連れて。

 

頭が混乱したのを鮮明に覚えている。

 

 

私の、本当の心の中に抱いていた母親への気持ち。

そして自分の母親の事。

 

私と母親をこの著者がこっそり見ていたのか!?

と思うほどの内容で正直驚いた。

 

最初は自分の親を「毒」だと認める事ができなかった。

しかしその本を読み進んで行くうちに

 

今の自分が形成された理由(原因ともいおうか)が少しづつ見えてきたようにも見えた。

 

結局当時の私はこの本を読了する事ができなかった。

 

 

この本が言っている事全てが正しいとは限らない。

 

まだ、毒とは認められず。

母親との関係を断ち切れない自分がいたし。

 

自分をこの世に授けてくれた親に対して「毒」だと思う事への抵抗は拭えなかった。

 

その拭えない気持ちを形成したのも、まさか「毒」に侵されているとも理解できず。

養育費は支払われていない。

1年支払われた養育費、そこから養育費は1円も支払われた事はない。

 

支払われなくなってから、電話をすれば

着信拒否。

メールすらも届かなくなった。

 

LINEだ、LINEを!

と思ったが既読にもならない。

ブロックだ。

 

 

何度も何度も、通帳記入に行ったが。

 

「新しいお取り引きはありません」

 

と、返される通帳。

 

 

私はこの「新しいお取り引きはありません」を何度も聞いた。

 

何度も何度も通帳記入しては、新しいお取り引きはありませんて言われるのがイライラして。

 

そのうちこれも悟りを開いて。

 

どうせ金など入れるわけがない。

 

と諦め、通帳記入通いするのをやめた。

 

 

入金されていない事を知り、そのたびにイライラさせられる事が、元夫の小さな復讐にも思えたからだ。

 

ATMの前で、悔しくてイライラする私を想像して喜んでんじゃねぇか?あ?お?

 

と思えてくる。

 

 

それ以来、私は本当に機嫌のいい時に、忘れた頃に通帳記入に行った。

 

 

「新しいお取り引きはありません」

 

と吐き出される通帳を、私はATMに向かって

 

「知ってる」

 

と返して、通帳を引き抜くまでに成長した。

 

一応、その通帳は手元に置いてはあるが目にするたびに腹がたつだけなので押入れの奥底に片付けてある。

 

もう長い事通帳記入もしていない。

 

 

養育費なんて、貰えたらラッキーとも言うが。

 

我が子のためのお金なのに。

 

 

たった1年で我が子の事などどうでもよくなれるのか…と本当、笑うしかないのかなんなのか。

 

ちなみに、子供の誕生日にすら連絡もしてこなくなった。

 

娘が今年のお正月に、パパに新年の挨拶をしたいと言ったので電話をしたが当たり前に着信拒否。

 

そこで閃いたのが、娘の携帯からかけてみよう作戦。

子供がかけてきたなら、さすがに応答するだろうと踏んだ。

 

娘は父親に電話をして

「もしもし!パパ?◯◯◯だよ!」

と言ったら、ガチャ切りされた。

 

娘は笑って「切られたwwww」と言っていたが。

 

こんな、小さな子供にまでそんな仕打ちをするなんて。

 

人間がする事かよ。

 

今年こそは、家庭裁判所に召喚してやる。

元夫と子供との面会2

離婚してから半年くらい経った頃だろうか。

 

時期すら記憶にない。

 

子供達がパパとご飯食べに行こうよ、みたいな事を突然言い出したので、それを元夫に伝えた。

 

 

そしてその当日。

 

 

適当な店を選んで、待ち合わせ。

 

まだ到着までに時間がかかるというので、先に子供達と店に入り、お腹が空いたと言うので先に注文を取らせて食事をさせた。

 

私はコーヒーだけを注文した。

 

 

しばらくすると子供達が「あ!パパだ!」と叫んだ。

 

その声の方向に振り返ると、いた。

 

いた。

 

いたんだよ。

 

元夫が。

 

なんか3倍くらいに膨れて。

 

 

え…マジでキモいんすけど……。

 

 

着席して、子供達を見て「大きなっなぁ」て。

 

なんかイラっとしかしない。

親戚のおっさんが久々に見た姪っ子に言うようなセリフ。

 

私が全ての借財を背負い、それでもいいから別れてくれ頼むから離婚届書け、とは言ったが。

 

なんか優雅にデブってんのんとか見ててイライラしかなかった。

気色悪い。

 

 

金だけが理由で見切りをつけた人間に対し、離婚届という名の薄っぺらい紙に署名捺印受理されて半年も経てばこんなにまで「一度は愛した人間」を生理的に無理と思うほど。

 

子供らは先に食事させるとして、せめて私は元夫が来るまで食事の注文は待ってやろうと思いコーヒーだけを注文したのだが。

 

元夫の登場でそれまでの食欲が一気にマイナス100度の世界で薔薇の花も握ったらバリバリに壊れるほどの寒さと世界ですよ。

 

 

人間、ここまで特定の人間に対して

ただそこにいるだけなのに、ここまでの嫌悪感とか吐き気とか、寒気を感じるものかと。

私はそれに驚いたし、その席に座っている事すら拷問でしかなかった。

 

 

ここで夫は、店員から差し出されたお水とメニューを貰い。

 

「あ、僕は水だけでいいです」

 

出たー!出たー!デターーーー!!!

 

僕 は 水 だ け で い い で す wwwww

 

 

もうね、恥ずかしくて顔から火が出ますよ。

なんでそこまでケチになれるんかわからん。

子供らはまだ食事の途中ですよ?

事前に「食事でも」て言ってるのにですよ?

 

 

「いや、お店を利用するならせめて飲み物1つくらい注文するもんなんじゃないの?」

 

と言ったら「あ、じゃあコーヒー…と」

 

 

と、何やねんしばくぞ。

(無意味にイラつく)

 

「あ、やっぱりこの焼きカレーでコーヒーは無しで」

 

 

本当キモい。

こいつは店で1人2つ以上注文したら負けとでも思っているのだろうか?

 

なんかごめんなさい、このキモさわかってもらえる人がどこかにいたら私はそれで満足。

 

 

私はずーっと黙っていた。

 

子供達は「ねぇママ」と私に話しかけ。

パパに会いたいと言った割に私にばかり話しかけて来るから

「せっかくだからパパとお話したら?」

と言ったが「別に聞く事なーい」

 

お前ら…お前らってやつは…

 

そしてこういう時、普通父親というものはしばらく会っていなかった娘達になんぞ聞きたいこととかいっぱいあるもんなんじゃないの?

 

元気でいるか?

学校楽しいか?

友達できたか?

寂しくはないか?

お金はあるか?

今度いつ会える?

 

さだまさし先生を見習え!!

 

なのに、なんも子供らに話しかけもしない。

 

まぁ見ているだけで満足だった、のかもしれんが。

 

 

なんか子供達は自分らの話で盛り上がって、私と元夫は無言のまま。

 

私は言った。

 

「なんかめっちゃ肥えたな」

 

「あぁ…タバコやめたから」

 

極めて、極めてどうでもいい情報を入手した。

 

 

とにかく気持ちが悪かった。

なんでそんな日焼け?なんか知らんけど、兼本選手が引退の時に突如登場した黒々とした清原の如く黒く。(お、おぇぇえええ)

 

鞄もなんかクソダサいし。

私、こんなクソダサい男と結婚してたの?

ねぇなんなのそのクロックスのパチモンみたいなん。

ねぇなんなのそのクロムハーツのパチモンみたいなペラいネックレスwwwww

本当マジでキモい!

こういうクソ客いる!

あぁ無理、こいつに金もらっても接客すら無理。

 

NG! NG! NG!

 

 

夫が食べ終わったのを目視で確認、ヨシ。

 

すでに食べ終わって暇を持て余していた子供達に帰るよ、と言い。

 

私は伝票を取った。

 

 

この時ばかりはカバンから財布を取り出して、俺が払うよと言ったが「いや、子供が食べた分の方が支払い多いからもういい」

と言ったら、せめて俺のぶんだけでもとか言うかと思ったけど、すごい速さで財布をカバンに片付けた。

 

 

ケチで卑しい人間は恥も知らないようで。

 

 

こんな男とは別れて大正解だった!

 

 

私がその日、たった1つ得ることができたのは

別れて大正解だった、という再認識だけだった。

 

帰りの車の中、子供達に

「パパと会えてどうだった?」と聞けば

2人とも「なんかもういいわ」て、あんなにパパとご飯行こうよー!とか言っていたのに冷めた発言wwww

 

 

それからしばらくは養育費もきちんと支払われていたが。

 

ちょうど1年払ったところでピッタリと止まった。

 

 

 

 

 

5股てお前は手袋か。

毒婦が20歳の頃のお話です。

 

知り合いから紹介された同い年の男の人。

 

バンドをやっていたとかで、しかもボーカルで歌がとても上手い人だった。

 

彼はドライブしている時、よくいろんな曲をかけて歌ってくれた。

 

素人が歌う歌も、まして当時は邦楽などあまり興味がなかったのだが。

 

その彼の素敵な歌声に恋に落ちた。

 

お互いに付き合おうとか、そんな言葉は特に交わすことはなかったが。

週末は仕事で忙しいと言う彼は、いつも平日の夜、私とデートした。

 

恋愛経験値が低すぎなのか、週末は仕事で忙しいとか、とにかく毒婦は人を信用しすぎるところがある。

まぁ騙すより騙された方がいいかな、なんてのはただの負け犬の遠吠えなんですがね、ワンワン。∩^ω^∩

 

 

当時、車を所持している彼氏、というのが初めてで。

彼はいろんなところに連れて行ってくれた。

夜景の綺麗な高速道路。

ここはアメリカか!みたいなダイナー。

 

行ったことないところにたくさん連れて行ってくれた。

 

一人暮らしをしていた私の家に泊まりに来て。

朝まで楽しんだ。(おえー)

 

当時もあったよ、プリクラ。

撮った撮った、いっぱい撮ったよ。

ハサミで半分こ♡

 

そんな関係を続け、クリスマスが近づいて来た頃。

彼氏と過ごすクリスマスとか初めて!!

と、私は張り切っていた。

 

彼から「クリスマスの夜はちょっと仕事で遅くなるから21時くらいに家に行くね」と言われていた。

24日は家族でクリスマスをするから25日、と言われたが何も疑わなかった。

 

そして25日、夕方会社から帰って私は手料理をたくさん作った。

 

作り終わったのは夜20時半くらいか…。

あとは彼が来て〜乾杯して〜♪

と、なんかクリスマスツリーとかセッティングして、ミュージックまで用意する乙女っぷり発揮(おえー)

 

21時の約束の時間を過ぎ…

22時…仕事が終わらないのかなぁ…

電話をしても出なかった。

23時を過ぎた頃にようやく電話がかかってきた。

 

ごめんごめん!

仕事が!

 

待たされてイライラしていたけど、仕事なら仕方ないや…と思い、彼が家に到着するを待った。

 

到着した頃は0時をあと少しで回るところだった。

彼は「なんとかクリスマスに間に合った」と言っていた。

 

せっかく作ったご飯は冷めてしまっており。

「クリスマスだし、作ったんだ!」と言ったが、彼はあまり食欲がないといい、あまり箸をつけなかった。

 

悲しい気持ちのまま、残った料理にラップをかけ。

そこまで浮かれていた自分が寒かった。

 

その日も彼はうちに泊まって、翌朝仕事に行くと出て行った。

 

 

そして、数日後の夜。

 

知らない番号から携帯(当時はピッチなピッチ)に電話が。

 

出てみると、相手は女だった。

 

「ねぇ、あなた毒婦さん…ですよね?」

 

な、なんやこいつ。

誰や。

 

「あのー、うちの◯◯知ってますよね?」

 

彼氏の名前だ。

 

「毒婦さん、騙されてるわ〜。

あ、ちなみに私は△△△。本命彼女!」

 

ファッ!?

 

「プリクラ、見たで〜。財布の中によーさん入ってたわw」

 

………。

 

「あのな、うちの彼氏浮気癖むちゃくちゃ酷いねんな。他にも女おるのん把握済み。

ほんで、会うてる回数から何から考えてもあんた5股されてるうちの最下位やでwwww」

 

ケタケタケタケターと笑われた。

 

 

ご、ご ま た ………。

 

 

「それでもええんやったらええけど、毒婦さんもしかしてうちの彼氏に本気やったりする?

ごめんね〜私は2年前から付き合ってて、こうやって浮気相手の女の子に教えてあげるんが仕事みたいになってんねん、慣れたもんよ!」

 

は、はぁ…

で、では私は遊ばれていた、という事でしょうか?

 

「せやで?信じられへん?

 ほな、変わるわ」

 

電話の向こうで「もうええって!やめろや!遊びやってん悪かったって、ほんまやめて!」と彼の声が聞こえた。

 

「聞こえたー?

ま、そういう事やから!」

 

は、はぁ…

 

「あんた、騙されてるて気づかんかったん?

本気やったん?」

 

……。

 

「まぁええわ、ほなサイナラ!」

 

ツーツーツーツー

 

 ちなみに24日の夜は本命彼女と。

日中は他の女と。

25日の日中は他の女と、夜は他の女と。

深夜から私と。

残りの1人は23日の夜だったらしい。

 

ヤリチンにもほどがある。

 

 

私はそのまま、ベランダの室外機に座って夜空を眺めながら星の王子様の歌をしばらく歌って泣いた。

 

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選曲理由はない。

 

黒歴史。