毒婦、修羅の過去

毒婦の過去。

2人きりの毎日。

床上げまでは水仕事はしてはいけないとか。

産後はゆっくり赤ちゃんのお世話だけに専念するとか、肥立ちがどうのとか。

 

私にはなんら無縁の話だった。

 

母乳の出が悪く、当時は母乳育児推奨万歳時代で、粉ミルクを飲ませる事は悪だ!母親の怠慢だ!吸わせりゃ出るようになる!というスパルタなものだった。

 

なるべく粉ミルクを使わないよう、出ているのか出ていないのかもわからない乳をひたすら吸わせ。

レンタルで借りたスケールで、何度も娘の体重を計り、どれだけ飲んだかを記録していく毎日だった。

 

母乳にいいと言われるものは片っ端から買い、食べ、試し、とにかく髪の毛振り乱して必死だった。

 

忘れた頃に帰ってくる夫には、それはもう日頃のストレスを思いっきりぶちまけた。

我が子をゆらゆら抱きながら、思いっきり汚い言葉で罵った。

 

帰って来ても産後で身も心もズタズタの不安定な嫁がいて、ギャンギャン泣く赤子のいる家になんて帰ってくるのも嫌だったんやろな。

嫌にもなるわな。

 

私は初めての育児に必死で、帰ってこない夫の事なんて構ってる暇もなかったし、いなきゃいないで済むし、生活費だけ納めてろ糞ATMとしか思っていなかった。

 

その後、見事テンプレ通りの産後うつになり。

地域の人がちょこちょこ自宅を訪問してくれ、いろんな支援を使って、気分転換にと美容院に行く時間を作ってくださったり。

 

本当、いろんな方にお世話になった。

 

だんだんと「ん?夫?旦那なんかいらねんじゃないの?」とも思うようになった。

 

忘れもしない。

 

娘が夜、泣き出した時。

私は抱っこしてゆらゆらさせながら子守唄を歌った。

少し夜風に当たれば泣き止むかな、と思ってベランダに出た。

 

遠くはミナミの方向に目をやると、ミナミの空だけ明るかった。

繁華街の明かりが、空を明るく照らしていた。

 

そしてもう少し南側を見ると、天王寺

通天閣の先が見えていた。

天王寺も同じく、繁華街の明かりが空を明るく照らしていた。

 

私は娘を抱き、夜風に当たりながらゆらゆら。

 

あの明るい空の下で、世の中の人は楽しく遊んでいるのかな…

私も、あの明るい空の下でついこの前まで遊んでいたのにな…

 

自分だけが、取り残されたような気持ちになって。

 

可愛い娘が腕の中にいるのに。

あまりの寂しさに、ワンワン泣いた。

 

それ以降、夫が帰ってくる事はなかった。