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毒婦、修羅の過去

毒婦の過去。

毒親と毒婦 幼少期

毒親と毒婦

私は、毒婦家で80年ぶりかなんかの女の子誕生だったそうです。

当時は女の子が生まれたとたいそう喜ばれたそうです。

 

私には2つ年上の兄がいます。

 

幼少期、私は父親に可愛がられていたような記憶が断片的にあります。

かといって、母親に可愛がられていなかったかというとそうでもなかったように思います。

 

どちらかというと、兄の方が「お兄ちゃんなんだから!」とよく怒られていたように思います。

 

父親も兄にはとても厳しかった記憶があります。

 

父親はとても仕事バカで、殆ど毎日仕事に明け暮れていたイメージです。

これは定年まで、定年後もそうでした。

 

母は専業主婦でした。

 

兄は習い事をあまりしていなかった記憶があります。

スイミングくらいでしょうか。

私は、兄と一緒にスイミングにも行き、楽器を習ったり、習字、そろばんにも通っていました。

振り返ると、娘の私は「特別」に見えますね。

 

私は小さい頃からコロコロしたぽっちゃりな女の子でした。

変わって兄はガリガリに細くて身長も低くもやしみたいな男の子でした。

 

夕飯の時、兄はいつも怒られていました。

なぜ怒られるか、食べないからです。

単に少食だからなんだと思いますが、両親は食べない兄をよく𠮟っていました。

 

食い意地のはっている私は

「なんでお兄ちゃん食べないんだろう?」

「食べないで怒られるって変なの」

「食べればいいのに、美味しいのに」

「また兄ちゃん怒られやんの」

と思っていました。

 

今でも鮮明に覚えている記憶があります。

忘れもしません、夕飯はちらし寿司でした。

兄はちらし寿司が当時は嫌いだったのかなんなのか。

嫌そうな顔をして食べていたのです。

 

そりゃぁせっかく作ったのに、嫌そうな顔して食べられて。

私も親になってわかりますが、せっかく作ったのに食べてもらえない

これは結構ショックだったりもします。

 

あの日、母親が食べない兄をいつも以上に怒ったんです。

兄は半泣きでちらし寿司を詰め込んでいたのですが遂に逆流w

 

私は「あぁ!お兄ちゃん大丈夫!?」と言いましたが。

母親は台拭きを思いっきり兄に投げつけ

「吐いたもんも全部食べなさい!!!!」と怒鳴り散らした。

 

子供ながらに私は「それは酷い」と思い。

泣き出したお兄ちゃんを見て、貰い泣きしてしまい。

2人でワンワン泣いたのを覚えています。

 

もういい!もう食べなくていい!

 

と、まだ食べかけの私のちらし寿司も撤去され。

逆流ちらし寿司も撤去され。

お兄ちゃんとワンワン泣いていたら

「うるさい!」と言われ。

そのままリビングに行って父親が早く帰って来ないかな…と私は思っていました。

 

まぁ兄貴は父親が帰って来たら帰って来たで今度は父親にも怒られると思って、気が気じゃなかったとは思うのですが。

 

 

とにかく、両親は兄に厳しく。

私には甘かった、という感じでした。