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毒婦、修羅の過去

毒婦の過去。

毒親と毒婦 中学生の頃

兄は中学3年生。

 

私は中学1年生。

 

兄は受験を控えていた。

母親にとっても初めての「受験」である。

母親の目は兄に向いてばっかりいた。

 

そして私、といえば。

特に勉強できるわけでもなく

中学校に入って変な色気も出て来て

学校行く前にドライヤーで前髪をキメw

 

兄はちんちくりんの短い毛のくせに、毎朝ドライヤーでセットしていた。

学校では禁止されていた整髪料を使い。

ビーバップハイスクール気取り。

 

そりゃぁ2つ年下の私も、そんな悪ぶった事に憧れる年頃。

兄が使った後、ドライヤーでセットしていたら

なぜか私だけ母親に怒られた。

学校で禁止されているだの、整髪料を使うなだの。

部屋に隠し持っていたケープ()を何度無言で捨てられたかw

 

兄は、そんなチャラい部分は持ちながらも勉強もまぁまぁできる子だった。

兄は受験を見事突破し、第一志望の有名校に入学を決めた。

 

兄は母親にべたべたに褒められ。

さすがお兄ちゃん!とそれはそれはお祭り騒ぎでお祝いされた。

 

さて、妹の私のひがみですが。

「その点、毒婦はチャラチャラして」

「髪の毛の事ばっかり気にして」

「成績も悪いし」

そう言われていた。

 

思春期反抗期もあって、うるせぇババァ!と思っていた。

本当に母親が嫌いで嫌いで仕方がない時期が到来した。

 

私は常に「お兄ちゃんばっかり」と思っていた。

でも、兄が悪いわけではない。

兄のパン事件、頭ぶんぶんの事も私は忘れていなかった。

兄は弱いところがあるから母はああやって兄に優しくしているんだ。

そう頭でわかっていながらも、やはり極端に私に対する態度との違いに

母を好きになれなかった。

 

大嫌いだった。

 

中学3年になる前、親と担任の先生と私での三者面談があった。

あの時、担任は私の成績表を見て言った。

「いやぁ〜この成績やったら、○○女子を専願で行くしかないですね。

他に道はありません。これ以上成績が下がったら行くところないですね。」

そのまま無言の帰宅だ。

 

変わって父親だが。

父親は育児に干渉しないだけだったのか、なんだったのかは不明だが。

「毒婦のやりたいようにやりなさい」と言ってくれる父親だった。

それまでも、母親のように父親に怒鳴り散らされたり、暴力を振るわれる事などなかった。

高校受験も、特に口出しする事はなく。

「まぁ高校くらいは卒業しておいた方がいいんちゃうか?」てなもんだった。

 

母は違った。

「あんたこのままでどうすんの?バカなの?」

「お兄ちゃんはあんないい高校行ってんのに、あんたどうすんの?」

 

まぁでも私もその一言に頭に来て。

中学3年生の1年間は悔しくて血の汗をかくほど勉強に明け暮れた。

1年間必死で成績を上げた。

兄と同等クラスの高校を受験し、見事合格してやった。

 

中学2年までどっからどう見てもデブだった私の体重は。

卒業する頃には半分くらいのサイズになっていた。

故意に痩せようとしたのではない。

私には私なりのストレスがあったのだろう。

食べたくなくなった時期があって、とにかく毎日吐き気との戦いだった。

 

辛い、しんどい、吐きそう。

 

そう言っても、母は私に「甘えだ」と言った。

 

必死の思いで勉強をし。

志望校に合格できた。

 

だがそれを兄の時のようには喜んでもらえなかったように思う。

 

お兄ちゃんにできたんだからあんたにできて当然、みたいな。

 

 

特に、将来何になりたい夢があるからその高校に入ったわけでもなく。

とにかく当時の私は、兄のようにいい高校に入れば…

 

そうどこかで思っていたのかもしれない。

 

「いい子でいなければならない」

 

だんだんと、私の中で

「いい子にしれいれば、きっと褒めてもらえる。」

「認めてもらえる」

と思っていたのだろう。

 

だが、そう簡単に私を褒めてくれ、認めてくれる場面など

期待したとて現実は厳しかった。