読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

毒婦、修羅の過去

毒婦の過去。

毒親と毒婦 さぼりにピアス

進学は決まっていたので残された高校生活は本当にダラダラ過ごした。

 

初めての「クラブ」を体験してから、私は麻薬の虜になったかのように。

頃合いを見計らっては親に「友達の家に泊まりに行く」と言って。

怪しまれないペースで友人とクラブに遊びに行った。

 

時には、友人がお膳立ててくれたコンパにも行った。

 

コンパに行き、2次会のカラオケで「王様ゲーム」というものが始まり。

意味がわからず適当にくじを引いて、ゲームをしながらルールを覚えた。

その王様が出すお題が次第にエスカレートしていって、

3番と4番がキスーーーーー!とか言い出した時は腰抜かすかと思った。

 

幸い、当時部活の男子とおつきあいしていた私は、キスと手マン(下品きつい)あたりまでは経験済みだったため、知らぬ男とファーストキスというのは回避できた。

だが、今日初めましてのよその高校の男子生徒とキスをするとか、本当に腰抜かすレベルだった。

 

友人達はこんな高校生活を送っていたのかと思ったら強烈羨ましくて。

なんかもう自分だけぽつーん取り残されてる感が半端なかったです。

 

 

年が明けて3学期になった頃には、学校への出席日数を何日クリアすれば留年しなくて済むかを計算し。

みんなで朝の朝礼だけ出て、そのまま学校を出て。

繁華街に遊びに行く、というサボリーヌ生活を送りました。

 

高校3年生を終える頃には、部活仲間の男子とも別れ、コンパ活動に明け暮れ。

それでもきっちり門限は守り、親に怪しまれないように。

 

そしてある日、友人がピアスを開けたんですね。

ピアッサーすね、流行りました。今もありますよね?

名前はピアッサーなのかな、今でも。

 

私もみんなと一緒にピアッサーで憧れのピアスをあけました。

大人の階段のぼった感を実感。

親にばれないよう髪の毛で隠し、透明のプラスチック製のピアスをつけました。

 

そして、その頃からアルバイトを始めました。

近所のスーパーでのレジ打ちです。

それなら親の目の届く範囲だからと親にも承諾を得て()

 

お小遣いだけでは足りない、学校から帰ったらダッシュでバイトをし。

バイトに限り門限は大幅に遅くでもOKでしたが、毎回親が迎えに来るのはさすがに恥ずかしかったですね。

 

 

そしてある日ですよ。

 

学校に行く(ふり)をして朝ご飯を食べていた時。

母親に髪の毛引っ張られたんですね。

 

ひぃ!と思った瞬間、耳を引っ張られ。

 

「親に対する反抗か!?」と叫ばれました。

 

私は黙ったまま、俯いていた。

 

「もう勝手にしたらいいわ」と言われ。

 

正直、もう高校も卒業するし、その先の進学も決まっているし。

もう勝手にさせてくれ、兄ちゃんだけ自由気侭な大学生活送って、なんで私だけこんな束縛されなきゃならないの!?

と思ったので「もういい加減、私の事構うのやめて欲しい」と言ったら。

 

朝っぱらからグーパン入れられて、髪の毛掴んではり倒されて。

10発くらい蹴り入れられて。

 

鼻血出して、口から血垂らしながら学校行きました(朝礼だけやけど)

 

 

この頃から私の反抗的な態度が表に出るようになり。

母親は母親で「口で言ってわからないなら、力で」と方向転換してきました。

 

ピアスがばれてグーパン事件が起きてから。

私の反抗的な態度も拍車がかかり、母親が言ったように

行動で親に反抗する、という行動に出て行く事が増えていきました。

 

次第に私は「親から解放されたい」「自由になりたい」

いろんな世界を知った私は、とにかくこの親からの束縛から自由になりたい。

そればかり考えるようになりました。

 

かといって、それを実現するにはなかなかの道のりで。

進学が決まっており、これも親のお金で通わせてもらう以上。

この束縛も、育ててもらっている事への感謝の気持ちも忘れてはならない。

こうして親によくしてもらっている事に対して、歯向かってはならない。

 

そう思う気持ちもあり、複雑でした。

 

歯向かえば歯向かうほど、当然母親はブチ切れますし。

 

私は、いい子でいなければならない。

いい子でいれば、母親は怒ったり殴ったりしない、とも思ったり。

 

とにかく自分で自由になりたい反面、それはあまりにも贅沢な言い分なのかなと。

自分の気持ちをどう表現し、どう伝え、どう理解してもらっていいのかもわからず。

 

だんだんと遊びの事よりも、自分を抑え込む方向に向かって行き。

これから進学して大学に行くとなったら、真面目にならなければ…。

 

と、私の頭の中は、あっち行き、こっち行き。

 

だんだんと自分を抑え込む事の方が多くなっていき。

そうなると母親がブチ切れる事もなくなり。

 

ブチ切れられる事に疲れた自分は、また「いい子でいなければ、いい子でいれば波風も立たない」そう思うようになっていきました。

 

そうして私は高校を卒業し。

 

大学に進学する事になり。

高校時代の友人達とは別々の道を歩むようになり。

 

そして私は、また束縛の日々へと戻って行った。