毒婦、修羅の過去

毒婦の過去。

毒親と毒婦 高校生の頃

私が高校1年になった時、兄は高校3年生。

 

高校生活はお弁当だった。

 

私の仲良しの友人達は、家庭がシングルマザーの子が多かった。

お母さんが働いている子ばっかりだった。

高校生になってから「働くお母さん」という存在を知ったとっても過言ではない。

 

うちの母親は専業主婦で、それが当たり前で子供の頃から育ってきた。

お母さんが働いているって大変だなぁ…と漠然としか考えが浮かばなかった。

 

専業主婦の母親が毎日持たせてくれたお弁当を友人達はいつも

「羨ましい」「美味しそう」と言ってくれた。

私にとっては当たり前の事でも、友人にとっては当たり前じゃないんだなと感じる事も多かった。

 

たまたま、友人の家に遊びに行った時。

「お腹空いたね、なんか食べる?」と言われて。

私は「どっちでもええよ」と返した。

 

友人は「今日母さん帰ってくるの遅いし…」

「今日晩ご飯何食べよー」

と、冷蔵庫や冷凍庫を覗き込んでいた。

 

私は思わず「え?夕飯、ないの?」と聞いた。

世間知らずとは恐ろしいものだ。

 

「いつも母さん仕事から帰ってくるの遅いから

適当にあるもの食べてるよ」と冷凍の唐揚げをレンジに入れて加熱しはじめた姿を見て正直驚いた。

夕飯を自分で用意している…だと!?と。

専業主婦のキラキラオカンがいる我が家で十数年育った私にとって衝撃的だった。

 

友人は言った。

「毒婦ちゃんところはいいよね〜お母さん家におるやん?

帰ったら晩ご飯もあるんやろし、お弁当かて毎日作ってくれるやん。

私なんか毎日学食やし、夕飯も適当やしほったらかしやわ(笑)」と。

 

あまりの世間知らずに自分が恥ずかしくなった。

 

毎日弁当を持たされて、たまには学食でうどんとか食べてみたかったのに。

「学食でご飯食べてみたいからお金ちょうだい」と言ったら

母はブチ切れて「私が作った弁当が気に入らないのか!」と言われた事があった。

 

私は自分の親に「感謝しなければならない」そう思った。

毎日毎日お弁当を作ってくれる母に感謝の気持ちを持たなければならない。

そう思った。

お弁当だけに限らず、家の事をしてくれ、自分を育ててくれている親に感謝しなければならない、私は贅沢者だ、世間を知らなさ過ぎる、そう自分を振り返った。

 

だが、高校時代も母親との仲はあまりよくなかった。

心の中で親に対する感謝の気持ちを持ちながらも。

 

小学生のパン事件あたりから、兄ばかり贔屓目で見る母親を好きになれなかった。

 

学校から帰ると、母は兄の鞄から空になった弁当箱を出していた。

だが、私の弁当箱は出さない。

「女の子なんだから自分の弁当箱くらい自分で出しなさい!」

夕飯の片付けまでに間に合わなかったら「自分で洗え」そう言われるのはいい。

むしろ、夕飯の片付けまでに間に合ったら洗ってまでくれてありがとうだ。

 

だが、私はずっとずっと引っかかっていた。

 

なぜ、兄の弁当箱だけは鞄から出してもらえるのだろうと。

なぜ、その時私に一言「お弁当箱出しなさいよ」と言ってくれないのだろう。

人間誰だって、つい忘れる事くらいあるだろう?

 

体育祭や文化祭の打ち上げ。

兄はよく、その打ち上げに行って帰宅が23時を過ぎる事も0時過ぎる事もあった。

「終わった後打ち上げがある」と言えば、兄には二つ返事で行ってらっしゃい&お小遣い付き。

 

それが私の場合は

「女の子なんだから夜出て行くとか許しません。」

 

クラスの子、殆どが参加するのに!と返しても

「行かない子だっているでしょう?

 うちみたいに、夜遅くに出かけるのはダメって言われる子もいるでしょ?」

「よそはよそ、うちはうち」(デター)

私は、高校3年間、この先生の目を盗んでの魅惑の打ち上げというものに結局一度も参加できなかった。

 

そして、私の高校3年間は「時間との闘い」の日々だった。

兄も体育系のクラブに所属し、帰り道に仲間と一緒にファーストフード店に寄り道したりして帰宅時間は20時を過ぎる事もよくあった。

 

兄の高校は自転車で30分、私も同じく自転車で30分のところだった。

 

だが、私にだけは厳しい門限が設定された。

私も体育系のクラブに所属していた。

練習が終わるのが18時、門限は18時40分に設定され。

兄のように部活仲間と寄り道買い食いもできなかった。

 

テスト期間中はクラブ活動がない。

6時間目が終わったら即帰宅、門限は16時30分を言い渡されていた。

 

これを1分、1秒でも遅れてみろ。

鬼のような、般若の顔した母親が待っている。

 

私は、部活を終えたら全力疾走で自転車を請いで帰宅した。

テスト期間中も全力疾走で帰宅した。

 

 

兄は緩い。

なのに私には「女の子だから」という理由でガチガチの門限を強いられ。

破る事もできず、守れば怒られない、怒られたくない、だから帰る。

そりゃ私も、たまにはみんなと買い食いしたり、友達の家にだって遊びに行きたい時もあった。

そんな時は事前に、母親の機嫌の良さそうな時を狙って。

”決して私は悪い遊びをするわけではなくて、良い子の遊びをするのです”

アピールをしながら、その日だけは門限を30分遅くしてくれないか?

とお願いしたり、友人の家に遊びに行っていいか?と許可を貰っていた。

 

親に許可を貰ってから遊びに行く事が当然だと思っていた。

こんな話を人にしないから、みんなどこもそんなもんだろうと思っていた。

 

単に私は怒られたくないから、真面目に門限を守った。

単に私はいい子でいなければならない。

自分を育ててくれる、親の言う事は絶対服従だ、守れば母親は笑っている。

 

だんだんと感覚も麻痺していき。

周りは「なんでそんなに厳しいん?」と言った。

「そう?まぁなんか女の子だからとか言って厳しい。

 お兄ちゃんは緩いのに、私にはごちゃごちゃ言って来る」

周りの友人からしてみれば「変わった家だなぁ」だったのかもしれない。

だが私が「門限を守らなかったら怒られるから」と言えば。

友人も無理には誘わない。

 

私は高校3年生の半ばくらいまで、友達とマクドナルドにすら行った事がなかった。

 

そんながんじがらめの高校生活を送った。

がんじがらめだなぁという自覚はあったが、とにかく母親を怒らせて、家にいる居心地が悪くなるのが怖かった、母親を怒らせる事が怖かった。

 

だけど、母親の機嫌を取るわけでもない。

 

母親の事は、大嫌いだった。