毒婦、修羅の過去

毒婦の過去。

毒親と毒婦 もう耐えきれない

大学に進学すれば、兄と同じように。

当たり前に門限などなくなり、楽しいカレッジライフ()が待っていると期待していた。

 

しかし、母親からの束縛は大学への進学後も止む事はなかった。

 

夜、友人と食事に行くと言えば「22時までには帰って来なさい」と言われ。

 

私は、母親の機嫌が悪くなる事をその頃は「恐れて」いた。

そして「そうされる事が面倒くさい」とも思っていた。

 

22時までに帰ってこい、と言われればギリギリの22時ではなくあえて21時くらいに帰っていた。

「思ったよりも早いじゃない」と思わせれば母親も機嫌が悪くならないからだ。

 

この頃からアルバイトを変えた。

テレホンアポインターだった。

時給は確実に手に入るが最低賃金でアポが取れたらボーナスが貰えるシステム。

私はこのアルバイトがどうやら向いていたのか、そこの支店長から私にだけ豚まんを貰えるほどの好成績だった。(豚まんかよ)

 

当時18歳で私が手にした月のアルバイト代は20万を超えた。

ホイホイアポを取って、営業成績グラフはぶっちぎりNO.1だった。

私がこういった成績NO.1を取り続けるという快挙をなしたのはこのテレアポのみだ。

風俗?すいません、即姫度高めでしたwwww

 

私はふと思った。

 

「これ、お金貯めて家、出ればいんじゃね?」

 

一人暮らしをしようと考えた。

私はとにかくバイトに明け暮れお金を貯めた。

 

そして就職が決まり。

私は大学を卒業とともに私は一人暮らしをする事にした。

自分で物件を探し、自分の身の丈にあったマンションを探した。

賃貸住宅を契約するにあたって「保証人」が必要という壁に打ち当たる。

 

黙って家を出るつもりもなかったので、親に一人暮らしをしたいという話をした。

父親は「いいんやない?」だったが母親は猛烈に反対した。

 

反対の理由はなんだ?と言ってもこれといって的確な答えは返って来ない。

 

なんで一人暮らしするの?

そんなにこの家がイヤなの?

親に反抗してるの?

一人暮らしして好き勝手やりたいってことなの?

 

挙げ句は「縁を切ってから出て行け」とまで言う始末。

 

私は単に、この束縛生活から抜け出したいの一心だったが、なかなかうまくはいかなかった。

 

父親に直接話をし、保証人になって欲しいと頼んだ。

ようやく話は進んで行ったが、母親の反対は尚続いた。

 

最終的に家を決めてしまえばこっちのものだと思い、契約をすすめていった。

母にとっては些細な事すら「私への反抗か?」とふっかけてきたが。

私なりに母親に機嫌を伺い、顔を立てながら生きて来たつもりだった。

 

これは、私の初めての反抗だった、とも思う。

 

私は自分の荷物をまとめて新居にへと引っ越しをした。

 

22歳、春だった。