毒親と毒婦
自分をこの世に授けてくれた両親の事を「毒親」と呼ぶには正直抵抗がある。
あれは私が30を過ぎたくらいだろうか。
恐らく、私が独身時代の頃ではなかったように思う。
とても親しくしていた友人に母親の話をした事があった。
その時に友人に言われた言葉。
「言いにくいんやけど、毒婦ちゃんのお母さんて毒親じゃない?」
はて?「毒親」とは?
その友人が「一度読むといいよ」と教えてくれた本は
『毒になる親』一生苦しむ子供
という本であった。
その時私は「なぜ私の母親が毒だと思うの?」とその時は少し友人の言った言葉に否定的に返した記憶もある。
その友人は
「簡単に言うと、親も子離れできていない、子供も親離れできていない…とでも言おうか…」と。
友人から「気を悪くさせたらごめんね」くらいの一言が欲しかったくらい、私は結構失礼な事を言う人だったんだなと思った。
あまりに気になった私は、本屋に直行して毒になる親の本を買った。
そして開いて、少しづつ読むに連れて。
頭が混乱したのを鮮明に覚えている。
私の、本当の心の中に抱いていた母親への気持ち。
そして自分の母親の事。
私と母親をこの著者がこっそり見ていたのか!?
と思うほどの内容で正直驚いた。
最初は自分の親を「毒」だと認める事ができなかった。
しかしその本を読み進んで行くうちに
今の自分が形成された理由(原因ともいおうか)が少しづつ見えてきたようにも見えた。
結局当時の私はこの本を読了する事ができなかった。
この本が言っている事全てが正しいとは限らない。
まだ、毒とは認められず。
母親との関係を断ち切れない自分がいたし。
自分をこの世に授けてくれた親に対して「毒」だと思う事への抵抗は拭えなかった。
その拭えない気持ちを形成したのも、まさか「毒」に侵されているとも理解できず。